雑賀衆
2024/06/10
信長が恐れた戦国時代最強の軍団。
雑賀衆(さいかしゅう)は現在の和歌山市に住んでいた人々の共同体から出て来た集団でした。漁業、林業、鉱業、鍛冶職人等の職人達を中心に構成されていました。
1543年頃。種子島にわけありのポルトガル人が同乗した一隻の大型船が漂着します。この際に所持していた鉄砲2丁を島主の種子島時尭(ときたか)が購入します。1丁、金1000両で購入。1憶円以上の価値だと言われています。その内の1丁が和歌山の根来衆(ねごろしゅう)、津田監物(けんもつ)に渡りその後、雑賀衆にも伝わり職人によって量産化されるのです。おそらく、時尭(ときたか)は資金力のある監物(けんもつ)に先に鉄砲の話を持ち掛け買い付けたのではないのかと思います。当時、未知の兵器だった鉄砲の情報が一早く入るところからして根来衆や雑賀衆の人脈の深さがうかがえます。根来衆や雑賀衆達は九州のみならず沖縄や中国とも交易しており、彼らの中にはあらゆる物事の"調達"のプロ達もいたはずです。世界の果てに人脈を作る商社マンのような。なので、鉄砲のみならずあらゆる知識を保有していたはずです。医学やその他最新の科学も。
鉄砲の話にもどり、時尭(ときたか)に銃の製造を命じられた刀鍛冶職人、八坂金兵衛は種子島(火縄銃)を分解し構造を分析して再現しようと試みました。現代でいうところのリバースエンジニアリングというやつです。しかし、銃身の底の構造が謎でポルトガル人に尋ねると八坂の娘の若狭(わかさ)を交換条件に教えると言われたそうです。これが若狭姫(わかさひめ)伝説となるのです。とても哀しい話なので語りたくありません。その構造の秘密というのは当時の日本にはなかったネジの概念にありました。その後、職人達が本家のオリジナルよりも高性能の日本製を作ったのは言うまでもありません(笑)
雑賀衆の特徴は銃であるように言われますがそれはあくまで道具に過ぎず部分の話で最強と言われた理由は共同体にあります。君主制ではない共同体です。また別名、傭兵集団と言われますが、お金で動くのが傭兵であるにもかかわらず、雑賀衆は大金を積まれても気にくわない相手とは取引きしない集団でした。権力に巻かれない集団でした。少数派に加勢するなど義勇兵に近いかその者のではないでしょうか。きっと、損得勘定や勝ち負けではなく自分たちの生き方に誇りをもっていたのだろうと思います。守銭奴でなかったことは間違いないです(笑)そして、いつの時代にもそういう者達は権力者達から睨まれるものです。。。
伝説の雑賀孫一の存在が曖昧なのは彼が権力者ではないことを示している明らかな痕跡だと思うのです。そして、忍の空気がするのです。彼は実在し、雑賀衆を率いていた中心人物であったと私は思います。少なくとも私にはその人物像と共同体の雰囲気が伝わって来ます。
雑賀の旅。いつか、ふらっと出かけてみたいです。
雑賀衆(さいかしゅう)は現在の和歌山市に住んでいた人々の共同体から出て来た集団でした。漁業、林業、鉱業、鍛冶職人等の職人達を中心に構成されていました。
1543年頃。種子島にわけありのポルトガル人が同乗した一隻の大型船が漂着します。この際に所持していた鉄砲2丁を島主の種子島時尭(ときたか)が購入します。1丁、金1000両で購入。1憶円以上の価値だと言われています。その内の1丁が和歌山の根来衆(ねごろしゅう)、津田監物(けんもつ)に渡りその後、雑賀衆にも伝わり職人によって量産化されるのです。おそらく、時尭(ときたか)は資金力のある監物(けんもつ)に先に鉄砲の話を持ち掛け買い付けたのではないのかと思います。当時、未知の兵器だった鉄砲の情報が一早く入るところからして根来衆や雑賀衆の人脈の深さがうかがえます。根来衆や雑賀衆達は九州のみならず沖縄や中国とも交易しており、彼らの中にはあらゆる物事の"調達"のプロ達もいたはずです。世界の果てに人脈を作る商社マンのような。なので、鉄砲のみならずあらゆる知識を保有していたはずです。医学やその他最新の科学も。
鉄砲の話にもどり、時尭(ときたか)に銃の製造を命じられた刀鍛冶職人、八坂金兵衛は種子島(火縄銃)を分解し構造を分析して再現しようと試みました。現代でいうところのリバースエンジニアリングというやつです。しかし、銃身の底の構造が謎でポルトガル人に尋ねると八坂の娘の若狭(わかさ)を交換条件に教えると言われたそうです。これが若狭姫(わかさひめ)伝説となるのです。とても哀しい話なので語りたくありません。その構造の秘密というのは当時の日本にはなかったネジの概念にありました。その後、職人達が本家のオリジナルよりも高性能の日本製を作ったのは言うまでもありません(笑)
雑賀衆の特徴は銃であるように言われますがそれはあくまで道具に過ぎず部分の話で最強と言われた理由は共同体にあります。君主制ではない共同体です。また別名、傭兵集団と言われますが、お金で動くのが傭兵であるにもかかわらず、雑賀衆は大金を積まれても気にくわない相手とは取引きしない集団でした。権力に巻かれない集団でした。少数派に加勢するなど義勇兵に近いかその者のではないでしょうか。きっと、損得勘定や勝ち負けではなく自分たちの生き方に誇りをもっていたのだろうと思います。守銭奴でなかったことは間違いないです(笑)そして、いつの時代にもそういう者達は権力者達から睨まれるものです。。。
伝説の雑賀孫一の存在が曖昧なのは彼が権力者ではないことを示している明らかな痕跡だと思うのです。そして、忍の空気がするのです。彼は実在し、雑賀衆を率いていた中心人物であったと私は思います。少なくとも私にはその人物像と共同体の雰囲気が伝わって来ます。
雑賀の旅。いつか、ふらっと出かけてみたいです。