「"さびしさ"を紛らわす」が動く理由。
2023/02/14
「"さびしさ"を紛らわす」が動く理由。
最近、そんなことを考えています。
私だけでなくて、ほとんど全ての人にとって。

SNSをするのも、居酒屋に行くのも、お菓子を食べるのも、音楽を聴くのも、映画を見るのも、お酒を飲むのも、その他諸々。

みんな気付いているのか、気付いていないのか。

多くのことはさびしさを紛らわすだけで、消えたりはしません。残念ですが。

そんなさびしさとお茶の関係。
茶の湯界隈には、「寂び」という言葉があります。

寂びは、「生命力の衰えていくさま」という意味があり、そこに美しさを見出だしたのが先人達。

寂びた美しさと、消えないさびしさを重ね合わせて、心の救いにしたのでしょうか。

そう言われると、主客一体や一期一会もさびしさから生まれた言葉のようにも見えてきます。

だから何だって話ですが、さびしさから生まれた空洞庵も、この広いお茶界隈の中で、誰かのさびしさに寄り添えたらと思うのです。

写真は、大谷崩れへの道の途中。人は通らず、電波も届かず、生き物おらず、孤独な一服。

この投稿をした生産者

静岡県 静岡市梅ヶ島地区

空洞庵

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