私が畑をしている能登町も被害を受けました。インフラ、物流の再開目処が立たない中農作業も再開目処なく中断しております。個人的な話になりますが幸い珠洲に居住をおく私の家族の無事で、建屋の損壊はあるもののまだましであった言えます。しかし前述同様にインフラは破壊されており、現在も母校である高校に避難生活をしています。長引くのは間違いありません。そして親族の1人は9日22時に避難所にてお亡くなりになりました。時がたつにつれ様々な悲しいニュースも日々耳にいたします。
避難所生活を体験すると日々日常に埋もれていた幸せとありがたさを改めて感じます。子どもの声、暖かな部屋や布団、最近は見なくなったテレビの恋しさ、綺麗なトイレや台所、明るい部屋、負荷のない道路、、、。その中でも改めて食べ物のありがたみと喜びを感じています。当初は非常食を食べ生きながらえ、公的物資が届き始めるとカップ麺など温度を感じる食事に感謝し、誰かが作ってくれた調理環境がなくとも食べられるパンの美味しさ、やがてパックご飯などで日本のお米を食べる喜び、炊き出しの支援で口にするお肉やお野菜、温かなうどん、、、。豊かな食卓が人の生命の維持だけでなく夢に向かい力強く生きる人の源であることを改めて生産者として学ばせて頂いてる思いです。美味しい食は夢への近道ですね。
結びになりますが、とはいえ悲観ばかりもしておりません。現実をしっかり直視し、受け止めてそれでもこの能登の地で生を受けた者としてしっかりと復興に向けできることからはじめていきます。メラメラと逆境に対しやってやるという元来もつ野生的な感情も湧いております。春になるのか来年になるのか、水と切り離された農業がどのような形を持ってつなげることができるのか思案しながらまた美味しいお野菜を皆様へお届けする所存です。
タベチョク様のサポートによりわずか数日で信じられないほどの支援や温かなお言葉を頂戴し、驚きと共にしつくせないほどの感謝の気持ちでおります。復興が落ち着いたら是非能登へ遊びにきてください。過疎と言われながらも歴史ある伝統や祭り。美しい景観、美味しい食べ物、心温かな優しい人々。皆様に英気と癒しをもたらすおもてなしが能登にはあります。今後とも能登をよろしくお願い申し上げます。
株式会社ハルサ
坂本洸士
うさまにあ様
ご母堂様のご逝去に接し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。悲しみの最中お気遣い下さり、御礼申し上げます。
能登は道路啓開され、電気や水道の復旧が徐々に進んできております。ただ、私の家のある珠洲はじめ奥能登、また、私が今現在寝泊まりしている能登町の仕事場は水はきておりません。倒壊建物の撤去はこれからで悲しい景色は4月の終わりに差し掛かっても発災時とほとんど変わっていません。人もかなりの数が市外に避難し過疎化に拍車がかかった形ですね。
ただ、私自身、春の雨で仕掛けは遅れたものの春作じゃがいもからはじめました。春の息吹とともに、私の体内にも活力が上がってくるのを感じています。皆様にご支持いただいたかぼちゃまもなく定植です。8月にはまた商品となりますので楽しみにしてくださいね。
皆様から信じがたいほどのご支援賜り私が恩返しする番ですので、お心遣いで胸いっぱいでございます。しいてお返答するのであれば余暇の際、皆様で能登へ遊びに来てください。宿泊所もまともに運営されてないんですが畑案内しますよ。能登町は7月のあばれ祭り実行宣言してますね。報道はほとんどされなくなりましたが、能登の復興が叶うその日までこの地をお留めくださればと思います。
ご返信ありがとうございます。
夏の野菜を楽しみにしております。
その時また購入させて頂きます。
能登の珠洲市野菜を買った話をした時に、
「あぁ、珠洲市は隣町だよ。近い近い」と言っていたのを思い出します。
行ける機会があれば行きたいですね。
次の野菜も楽しみにして待っています。
こんにちは。うさまにあです。その節は伏戸まで足を運んでいただきありがとうございました。
そちらの状況はどうでしょうか?不自由な生活が続いているのではないかと考えることがあります。
3月の終わりに母も亡くなり、葬儀や手続きなども一段落したところです。
何かできる事はないかと思いますが、品物送ったりするのもいいのか悪いのか、どこに送ればいいのか?
そんなことがぐるぐる頭の中回っているだけで実際何もできない自分に苛立ちを感じます。
何かできることないでしょうか?