能登半島の復興無くして日本の農山村の未來は無し!
2024/02/23
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、深刻な被害をもたらしました。
静かな半島を襲った大地震は幾多の尊い人命を奪い、生活を奪い
計り知れない甚大な被害をもたらしました。

被災者の皆様の心痛をお察し申し上げ、寄り添いながら
温かいお食事やゆっくりと休息し
学ぶ場や働く場を提供することが早急であると願われ
復興に向けた取り組みが急がれることを祈念するばかりです。

困難な時にこそ、支援の手を差し伸べることが重要です。
鳥取県の中山間地域よりも厳しい農業・農村環境にありますが
地震後の復興には、さまざまな困難が予想されます。
同じ農民として、心を痛めているところです。
高齢化が進む珠洲市の農山村において、高齢者や農家との交流を通じて
少しでも助けになればと考えています。

能登半島震災支援百姓隊総勢10名で
地元の方々に資材や道具の貸出の協力を経て
3月19日の朝6時に出発し、石川県珠洲市に向かいました。
私どもの農場で栽培した白ねぎ1000本
キャベツ100玉、鳥取産牛のレトルトカレー200個、豚汁の準備
モチ米は70キロ、きな粉の他に小豆を炊いてぜんざいを準備いたしました。

鳥取県八頭町を出発してから11時間。到着した被災地で
実際の状況を目の当たりにするとその深刻さが一層明らかになります。
金沢に到着し、七尾市、穴水町、能登町、そして珠洲市へ。
のと里山海道は急ピッチで復旧が進んでいますが、崩壊も激しく
復旧した片道一車線でアップダウンが激しい状況でした。

珠洲市正院地区に入ると情景が一変し、半数の家屋が完全に倒壊しており
後で聞くと、その通りは全壊だそうです。
正院小学校を経由して、ご紹介していただいた農家さんに到着しました。
20日は5時半に起床し、餅つきの準備をしながら
避難場所の正院小学校へと向かいました。
現在は仮設住宅が建設中ですが、小学校の中にも
約70人の方々が一時避難中です。
地元のおばちゃん方々のご協力を得ながら
70キロ以上の30数臼の餅と豚肉6キロの豚汁を力を合わせて作りました。

地震、特に大規模な地震はどこにでも起こりうる可能性があります。
自分自身や家族、そして地域全体として
厳しい状況を受け止め、被災地の再建のために助け合い
再生に向けて行動する必要があります。

能登半島地域は、日本海側の山間や中山間地域に位置し
鳥取県と同様に農村地域です。
厳しい自然環境に育まれた地域や故郷です
村や地域農業を支えてきた努力は
まるで自分事のようで他人事ではありません。
友人や親類、そして隣近所、田畑、家畜、山林、道路が
一瞬で壊れ去った衝撃は計り知れません。
しかし、厳しい自然環境の中で形成された地域や故郷です。
どんなに困難でも、農家の精神で、先祖から受け継いできた
地域や生活文化をなんとか再生・復興していただきたいと
心より願っています。
そして、その再生に向けた取り組みは
これからの日本の農村や山村地域の再生の指針になります。

20日午後3時、再度訪問するお約束をして
百姓隊の任務を遂行して撤退しました。

この度は、珠洲市正院地区における能登半島地震支援のため
受け入れていただいた農家の皆様に心から感謝申し上げます。
ご厚意に感謝の気持ちを表すと共に、お力添えいただき
心より感謝しております。
今後も被災地支援や地域社会への貢献を続けてまいります。

農事組合法人 八頭船岡農場 鎌谷一也

この投稿をした生産者

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