野上行宮(のがみ あんぐう)(岐阜県不破郡関ケ原町大字野上)に届いた声
この生産者への投稿です
岐阜県 不破郡関ケ原町大字野上
野上行宮(のがみ あんぐう)
関ヶ原といえば壬申の乱(AC 672年)・関ヶ原の戦い(AC 1600年)が行われた地です。中でも東部に位置する野上地区は合戦の勝者となった大海人皇子(天武天皇)、徳川家康公が陣を構え、天下を取った開運出世の地でもあります。
壬申の乱の際、当初の地元を治める有力者は大海人皇子(天武天皇)に邸宅を提供し、この地を『野上行宮(のがみあんぐう)』と呼ばれました。地域住民からは地元で採れた桃を大海人皇子(天武天皇)に献上したところ、縁起が良いと大変、喜ばれ、西部の山に桃配山の名を賜ります。その後、戦いに勝利し天下を治めました。
その故事に倣い、戦国時代に徳川家康公が野上地区・桃配山に布陣し、大勝利を収めます。
時代が進み、私が子供の頃は周りが栗林に囲まれる自然豊かな場所になっていました。
夏になれば木に登り、カブト虫やクワガタ虫を捕まえて沢山遊びました。
大人になってからは農作業の間に娘と一緒に木に登り、緑一色に染まった栗の木の樹海を見下ろして美しい景色を見ていました。
最近では、年々、あんなに美しかった栗林がどんどんと伐採され、更地化が進んでいます。
理由は栗の農作業が労力の割に採算が合わず、世代交代を機に後継者がいないからです。
私はこの事態をとても淋しく思っています。自然に彩られた子供時代の記憶はとても楽しく今でも宝物です。
私達家族は一本でも多くの栗の木を残したい。
かつて見た一面、栗林で生い茂る原風景を復活させ、先祖から受け継いだ由緒ある関ヶ原町野上地区を守りたいです。
こだわり栗(無農薬・野上行宮)の価値観を分かっていただける方、応援していただける方に食べて欲しいです。
現在では桃が栗に変わりましたが、古来さながら・関ヶ原地方野上地区の栗。
かつて、この地より二人の偉人が『せきはがら地方野上地区』にて人生最大の岐路を迎え、長年の志を叶えました。
先人たちの勝負強さに肖って『ここぞ!の勝負飯』としての楽しみ方もいいですね。
(皆様の満願成就の一助となれば幸いです。)
関ヶ原といえば壬申の乱(AC 672年)・関ヶ原の戦い(AC 1600年)が行われた地です。中でも東部に位置する野上地区は合戦の勝者となった大海人皇子(天武天皇)、徳川家康公が陣を構え、天下を取った開運出世の地でもあります。
壬申の乱の際、当初の地元を治める有力者は大海人皇子(天武天皇)に邸宅を提供し、この地を『野上行宮(のがみあんぐう)』と呼ばれました。地域住民からは地元で採れた桃を大海人皇子(天武天皇)に献上したところ、縁起が良いと大変、喜ばれ、西部の山に桃配山の名を賜ります。その後、戦いに勝利し天下を治めました。
その故事に倣い、戦国時代に徳川家康公が野上地区・桃配山に布陣し、大勝利を収めます。
時代が進み、私が子供の頃は周りが栗林に囲まれる自然豊かな場所になっていました。
夏になれば木に登り、カブト虫やクワガタ虫を捕まえて沢山遊びました。
大人になってからは農作業の間に娘と一緒に木に登り、緑一色に染まった栗の木の樹海を見下ろして美しい景色を見ていました。
最近では、年々、あんなに美しかった栗林がどんどんと伐採され、更地化が進んでいます。
理由は栗の農作業が労力の割に採算が合わず、世代交代を機に後継者がいないからです。
私はこの事態をとても淋しく思っています。自然に彩られた子供時代の記憶はとても楽しく今でも宝物です。
私達家族は一本でも多くの栗の木を残したい。
かつて見た一面、栗林で生い茂る原風景を復活させ、先祖から受け継いだ由緒ある関ヶ原町野上地区を守りたいです。
こだわり栗(無農薬・野上行宮)の価値観を分かっていただける方、応援していただける方に食べて欲しいです。
現在では桃が栗に変わりましたが、古来さながら・関ヶ原地方野上地区の栗。
かつて、この地より二人の偉人が『せきはがら地方野上地区』にて人生最大の岐路を迎え、長年の志を叶えました。
先人たちの勝負強さに肖って『ここぞ!の勝負飯』としての楽しみ方もいいですね。
(皆様の満願成就の一助となれば幸いです。)