南部片富士印(岩手県盛岡市)に届いた声
この生産者への投稿です
岩手県 盛岡市
南部片富士印
岩手山麓に棲むという妖怪豆じじい こと南部片富士印の加藤淳です。
作業の合間に見上げる南部片富士。岩手山の別称です。
啄木の言う通りふるさとの山はありがたいです。
秘伝大豆に魅せられて10年目。三疎な畑で独り黙々とやっております。
きっかけは2011年の大震災。物流が途絶え、お金があっても物が買えない長い時間を体験しました。
やはり何かを作りたい、そんな思いが沸沸と湧き上がってくるなか、一ヵ月後の4月に津波をかぶった梅の木に花が咲いたというニュースが流れました。
どんなに酷い環境にあっても時季が来れば花が咲く、そんな植物の生命力にとても安心し、またすごく嬉しかったことが忘れられません。
その生命力のわずかでもいい、実際に体験し感じたいとの思いが強くなり、この大豆に出会い畑を始めました。
僕の実家は農家ではありません。当初は小さな畑を借りてほんとうに僅かの作付けから始めました。
どうやって大豆の生きる力を引き出すか、毎年、試行錯誤の繰り返し。様々な条件を試し、今の栽培方法にたどり着きました。
もちろん今が完成されたものとは思いません。
植物の生きる力は限りの無いものと思っております。
人間の都合で放棄されていく耕作地。
緑の豊かさを求め、自然環境を保全すべく、そのような放棄地を借り受けて徐々に徐々に畑は広がっております。
岩手山麓に棲むという妖怪豆じじい こと南部片富士印の加藤淳です。
作業の合間に見上げる南部片富士。岩手山の別称です。
啄木の言う通りふるさとの山はありがたいです。
秘伝大豆に魅せられて10年目。三疎な畑で独り黙々とやっております。
きっかけは2011年の大震災。物流が途絶え、お金があっても物が買えない長い時間を体験しました。
やはり何かを作りたい、そんな思いが沸沸と湧き上がってくるなか、一ヵ月後の4月に津波をかぶった梅の木に花が咲いたというニュースが流れました。
どんなに酷い環境にあっても時季が来れば花が咲く、そんな植物の生命力にとても安心し、またすごく嬉しかったことが忘れられません。
その生命力のわずかでもいい、実際に体験し感じたいとの思いが強くなり、この大豆に出会い畑を始めました。
僕の実家は農家ではありません。当初は小さな畑を借りてほんとうに僅かの作付けから始めました。
どうやって大豆の生きる力を引き出すか、毎年、試行錯誤の繰り返し。様々な条件を試し、今の栽培方法にたどり着きました。
もちろん今が完成されたものとは思いません。
植物の生きる力は限りの無いものと思っております。
人間の都合で放棄されていく耕作地。
緑の豊かさを求め、自然環境を保全すべく、そのような放棄地を借り受けて徐々に徐々に畑は広がっております。