ゆきやまと農場(新潟県中魚沼郡津南町)に届いた声
この生産者への投稿です
ゆきやまと農場の村山周平です。
トップブランド「魚沼米」の産地、津南町で先祖代々農業を営んできた村山家に生を受けましたが、当初は事業を受け継ぐことへの重圧と、人生を勝手に決められているような嫌悪感を抱き、農業をやりたくない一心で実家を離れておりました。
20歳の頃に、当時の友人から「お前の実家も、外国の安い米が手に入るようになれば倒産するだろうな」と言われ、
それに対して「なぜ部外者の何も知らない人間にそんなことを言われなくてはならないのか」という怒りの感情を抱き、「だったら自分が帰郷して、農業がしっかり稼げて、面白い職業であることを証明しよう!」と思ったことがキッカケで後継者となることを決めました。
大学を卒業後、2年半ほど農業に関する勉強や研修の時間を過ごし、24歳の時に就農しました。その後は5年ほど父のもとで農作業や経営を学び、29歳の時(令和3年)に事業を承継し「ゆきやまと農場株式会社」という農業法人を立ち上げ、現在に至ります。
『津南町のゆきやまと農場にしか作ることができない、最高に美味しいお米を作って全国の皆さんの元に届けたい!』という想いで日々、自然と向きあっております。
ゆきやまと農場の村山周平です。
トップブランド「魚沼米」の産地、津南町で先祖代々農業を営んできた村山家に生を受けましたが、当初は事業を受け継ぐことへの重圧と、人生を勝手に決められているような嫌悪感を抱き、農業をやりたくない一心で実家を離れておりました。
20歳の頃に、当時の友人から「お前の実家も、外国の安い米が手に入るようになれば倒産するだろうな」と言われ、
それに対して「なぜ部外者の何も知らない人間にそんなことを言われなくてはならないのか」という怒りの感情を抱き、「だったら自分が帰郷して、農業がしっかり稼げて、面白い職業であることを証明しよう!」と思ったことがキッカケで後継者となることを決めました。
大学を卒業後、2年半ほど農業に関する勉強や研修の時間を過ごし、24歳の時に就農しました。その後は5年ほど父のもとで農作業や経営を学び、29歳の時(令和3年)に事業を承継し「ゆきやまと農場株式会社」という農業法人を立ち上げ、現在に至ります。
『津南町のゆきやまと農場にしか作ることができない、最高に美味しいお米を作って全国の皆さんの元に届けたい!』という想いで日々、自然と向きあっております。