有田市認定みかん農家 紀州伊藤園

和歌山県 有田市

有田市認定みかん農家 紀州伊藤園

創業:1638年01月
食べチョク登録:2020年08月

食べチョクAWARD受賞歴

受賞件数:3件

  • 果物
  • 果物
  • 果物

【ご挨拶】
 紀州有田の伊藤園をご訪問いただきありがとうございます。
和歌山県有田市のみかん農家「伊藤 登美子」です。大正15年生まれの97歳です。

 江戸時代初期の初代伊藤 長右衛門(寛永14年 1638年)から数えると農家の歴史は400年続いております。

English & Spanish Available

▼Introduction of our farm
I'm Tomiko Ito who is 95years old ,thirteen-generation farm owner.
Our farm was established in Edo era 1638, 400 years ago.
Of course I'm an active farmer and have 72years carrier.
We promise we would send you traditional and delicious Mikan (Japanese sweet orange) for you.!

生産者のこだわり

生産者のこだわり

自然に優しい栽培方法

・農薬、除草剤の使用を最小限度にすることで、
 自然と共存しながら栽培しています。
・園主とみ子は98歳現役で草刈り担当です。
・樹齢20年~40年の樹が多く、家族のように愛情を込めて育てています。
 年数が経つにつれ味に深みが増します。
・ワックス、防腐剤は不使用なので皮まで安全安心です。
・有機肥料(海藻エキス・カツオエキス)を使用しており、
 土壌の微生物やミミズが増えることで土が柔らかくなります。
 豊かな土壌が果実を甘く育てます。
・「安全は美味しい」が当園のモットーです。

▼SDGsへの取り組み
海洋環境の保全や廃棄物の減量のため
伊藤園では再生紙段ボール、新聞紙の利用といった、プラスチックフリーの梱包でお届けしております。
贈答用には無地の紙を使用しております。
ウレタン緩衝材とは違い紙を使用することで、
万が一の傷みに水分を吸うことができます。
段ボールへの染み込みを防ぎ、
商品をより良い状態でお届けが可能です。
持続可能な将来に向けて、これまらも環境に優しい農園を目指していきます。

生産者のこだわり

有田市認定みかん農家

伊藤園は有田市が定める認定審査に各柑橘類ごとに毎年連続合格をしております。
長年農家に携わった私たちの舌でチェックし、出品することも大切ですが
みかんに情が移り、どうしてもひいき目になりがちです。
生産者だけでは気づかない審美性などをプロの目と味で厳しく確認頂くことも大切です。
有田市による抜き打ち検査など、必要項目に達していない場合は認定の取り消しや罰則が設けられる厳しい審査です。
私たちは最高品質を保つために日々精進しております。

<認定みかんの官能審査>
①抽出検査で、平均して糖度12度以上、酸度1.0%以下等厳しい品質基準を満たしています。
②味や外観、バランスに優れ、味覚審査に合格したみかんです。
みかん名産地である有田の中で、さらに優れた農家に認定書が送られます。

<審査委員>
・鎧塚 俊彦氏(審査委員長 パティシエ)
・髙野 豊氏(審査副委員長 マスターソムリエ)
・大桃 美代子氏(タレント)

生産者のこだわり

伊藤園400年の歴史

私たちは1638年(江戸時代初期)より400年に渡り畑を受け継いでいます。

みかんの木は人の手が加わることで、元気にすくすく育ちます。
畑を手放すと6か月で木が枯れ始め、
野生の木が回りを覆いつくし、一瞬で雑木林になります。

現在も後継者不足で、多くの畑が手放され野生化となった林が点在しています。
みかんが実るのは年に一回、私たちは400回の収穫経験を経て
現在のみかんへと歴史を伝えております。
私たちといっしょに有田みかんの歴史を一緒に紡ぎませんか!?
当園のみかんをぜひご賞味ください。

●明治~大正時代の家族写真

生産者のこだわり

農業を始めたきっかけ

 昭和24年秋、23歳の私が嫁いだ先がみかん農家でした。
終戦して間もないころだったので決して裕福とは言えない暮らしです。
小さな子供たちを育て、やっと手が離れたと思ったら農作業へ戻る、の繰り返し。
鶏がその日産んだ卵をリヤカーに乗せ、子供たちと一緒に街へ売りに行ったりと、初めての農作業に無我夢中でした。
それが70年経った今もこうして続けているとは当時の自分もびっくりでしょう。
娘からは山でこけると危ないからと、畑になるべく行かない
ように言われていますが、雑草が気になってね、
今も天気が良い日は草刈りに行ってますよ。鎌を振り回している写真にも納得…!?

今まで70年に渡り、採れたみかんは大きな業者さんへ卸しており、
みなさんがどのように食べられているか聞いたことがありませんでした。
孫と一緒に食べチョクを始め、お客様からの感想をたくさんいただき、
時折涙ぐみながら、大変有難くお読みしています。
90歳を超えてもまだ新しい経験があるのかとびっくりです。
今もこうして勉強させて頂くことに感謝しながら、
生涯現役をモットーに皆様にみかんを届けて参ります。

詳細情報

経歴・沿革

【0歳 大正15年(1926)】
除虫菊の会社に勤める父、畑の世話をする母のもと二男三女の末っ子として生まれる。
みかん畑・米畑を手伝いながら、幼少期を過ごす

【13歳 昭和14(1940)】
第二次世界大戦勃発
有田高等女学校二年生の時に挺身隊として、軍需工場に動員される。学業もままならず。
有田市には東燃という飛行機の燃料をつくる施設があり(現在のエネオス)、
米軍からもっぱら狙われ空襲が起きていた。家族と畑を掘った防空壕に逃げた。
学校は出征兵士の見送り、千人針やら授業中に回ってきて授業どころではなく、修学旅行もなかった。

【17歳 昭和18年(1943)】
太平洋戦争勃発
家では麦や米の世話が大変で、みかん畑の世話をする母を手伝っていた。
食べ物を買うのは肉か魚ぐらいだったので、麦や野菜は自給自足ですごしていた為
ひもじい生活はなく、農業が生きる糧となった。

【20歳 昭和20年(1945年)】
太平洋戦争・第二次世界大戦終戦
当時はみんな同じような境遇で、テレビもなかったから、
ひとや人生を恨むという気持ちはなかった。生きるのに必死だった。

【21歳 昭和21年(1946)】
シベリア出兵から帰ってきた、みかん農家の太郎に嫁ぐ。
軍人だった太郎は町で唯一トラクターに乗ることが出来た人物で、
道路を広げたり、運送をしたり町内のみかん畑の近代化に大きな力を発揮した。

【23歳 昭和24年】
一男二女にめぐまれ、子育てをしながら
みかん畑の仕事に必死だった。

【34歳~ 昭和35年】
みかんが木箱で売られているのが主流だったが、
軽くて丈夫な段ボールの起用へと変わっていった。
梱包の負担が減り、有田市の柑橘物流の転換期を迎える

【60歳】
温州みかんに加えて雑柑(冬以外の柑橘)に規模を拡大する

【80歳】
有田市の認定みかんに合格する。

【93歳】
食べチョクに登録し、初めて個配を行う。
ごちそうさま投稿では今まで聞いた事がない絶賛の声に驚く
投稿を読むのが毎日の楽しみ。

【95歳】
初めての他業種とコラボ
ケーキ屋さん(和歌山県)、ジェラート屋さん(埼玉県)、シフォンケーキ屋さん(群馬県)にみかんが採用される。
食べるジャパン(審査委員長:服部幸應氏)にてみかんが認定される

【96歳】
今も現役農家として挑戦の毎日を送る

メディア実績

①2022年12月 NHK和歌山【ギュギュっと和歌山】
②2023年12月 ありだ市報
③2023年12月21日 日経新聞

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